一寸先が見えない時でも|聖書

神さま

「あなたのみ言葉は、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

人生は「一寸先は闇」と言われます。社会でも、世界でも、そして自分自身の中でも、何が起きるかは誰にもわかりません。勢いよく進んでいるときは、そのことに気づかないまま走り続けてしまうことがあります。でも、ふとしたピンチや、思わぬつまずきの中で、「これでいいのか」と立ち止まる時が訪れます。その時、私たちは自分の無力さや、はかなさに気づきます。それは敗北ではなく、むしろ“気づきの恵み”です。

「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」(箴27:1)

聖書は、イエスも預言者たちも、「人生は予測できない」とはっきり語っています。イエスは「一寸先は闇」とは言いませんでしたが、「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。」と語りました(マタイ6:34)。つまり、未来は私たちの手にはなく、握りしめようとしても握れないということです。箴言はさらに、「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ」と語ります。これは脅しではなく、“自分の限界を知ることが、神さまに頼る入口になる”という優しい招きです。

「私が弱いときこそ、わたしは強いからです。」(Ⅱコリント12:10)

ピンチの中で気づく無力さは、神さまの前では欠点ではありません。むしろ、そこから始まるものがあります。 自分の力でどうにもならない時、人は初めて「助けてください」と祈ることができます。その祈りこそ、神さまが最も喜ばれる場所です。イエスは、“強い人”よりも“弱さを認めた人”に寄り添いました。未来を完全に見通せる人よりも、「先が見えません」と正直に言う人を抱きしめました。人生が一寸先は闇でも、神さまにとっては闇ではありません。私たちが見えなくても、神さまは見えているからです。

音楽 ”神の光”
この曲は、人生の道が急に暗くなったときに生まれる“心の揺れ”にそっと寄り添うための歌です。勢いよく進んでいた日々では見えなかった弱さが、立ち止まった瞬間に静かに顔を出す。その揺れを聖書は責めず、「足もとの灯り」を与えてくれます。未来を知らせるのでは
ありません。今日の一歩だけを照らす小さな灯りです。その光があれば、闇の中でも歩ける―そんな静かな真実を歌った一曲です。

音楽 ”神の光”

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