「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。」(イザヤ55:8)
人間は「神を信じると救われる」という言葉を、なかなか素直に受け取れません。「科学的じゃない」、「証明できない」。そう言って、信じる前に扉を閉ざしてしまいます。でも、よく考えると不思議です。科学は、不完全な人間が積み上げてきたもの。間違いも修正も、歴史の中で何度も繰り返されてきました。それなのに、なぜか科学だけは“完全な真理”のように扱われます。しかし科学が扱えるのは、“見える世界”だけです。測れるもの、数えられるもの、再現できるものだけです。そこからこぼれ落ちる愛・赦し・希望・永遠は、科学の外側にあります。
外側にあるものは、人間には“不合理”に見えます。だから「信じられない」と感じるのです。つまり、神が不合理なのではなく、人間の認識が狭すぎるだけなのです。魚に「空の青さ」を説明しても理解できないように、人間も“自分の世界の外側”を理解できません。でも、空が存在しないわけではありません。
神さまは、その限界を責めません。むしろ静かに語ります。「あなたの理解を超えたところに、わたしの愛はある」と。信じるとは、すべてを理解することではありません。理解できないほど大きな愛が、自分を包んでいることに気づくことです。科学が扱えない領域―そこにこそ、神さまの救いが広がっています。人には見えなくても、神さまにはすべてが見えている。だからこそ、神さまの救いは“100%”なのです。「信じる者は救われる」と。
音楽”神を信じきる”
この曲は、科学では測れない領域に満ちる神の愛を、静かな祈りのように歌い上げた讃美歌です。見える世界に頼りがちな人間の弱さと、理解を超えて包む神の存在や愛を対比しながら、信じることの本質をやさしく描いています。女性コーラスの響きが、変わりゆく世界の中でも変わらない神の愛を象徴し、聴く者の心に「理解ではなく信頼」という光をそっとおいてくれる曲です。
音楽 ”神を信じ切る”


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