「あなたが、この王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4:14)
エステル記には神の名が一度も登場しません。奇跡も預言も語られず、ただ人の決断と恐れが物語を進めていきます。しかし、その沈黙の背後には、確かに“誰か”が息づいています。神は声を上げて喜んだり、涙を見せて悲しんだりはなさらないかもしれません。それでも、エステルが静かに王の前へ進み出て、民を救ったとき、神は静かに喜ばれたに違いありません。また、民が涙を流したときは、神は沈黙のまま深く悲しまれたに違いありません。神は感情を表に出すのではなく、隠れた場所で私たちの心に寄り添い、痛みも希望も抱きしめておられます。だからこそ、神は沈黙の中で働かれます。私たちの自由を奪わず、選ぶ力を尊重し、必要な瞬間にだけそっと道を開いてくださいます。エステル記はこう語りかけているようです。神は沈黙していても、あなたを見捨ててはいない。声を出さずとも、喜びも悲しみも深く抱きしめる―それが、隠れて働く神の愛のかたちなのです。
音楽 ”沈黙の奥の神”
この曲は、エステル記に流れる“沈黙の神”の姿をもとに、声を出さずとも深く寄り添っておられる神の愛を歌っています。神は喜びも悲しみも表に示されませんが、その沈黙の奥で確かに感じ、抱きしめておられるという真理を、静かな合唱の響きで表現しています。見えない導きに支えられながら歩む人の心に、神のまなざしがそっと触れる感触を描いた、優美で祈りのような讃美歌です。
音楽 ”沈黙の奥の神”


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