「見よ、わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ヨハネの黙示録 3:20
このみ言葉は、神の愛が強制ではなく、私たちが心を開くことを待ってくださる愛であることを示しています。神はすでに戸の外に立ち、私たちが素直に受け入れるのを待っているのです。信じる心を差し出すだけで、神との親しい交わりが始まります。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ人への手紙 2:8-9
救いは努力や功績によって得られるものではなく、神からの贈り物です。人は「自分の力で得たい」と思いがちですが、神の愛はただ信じるだけで受け取れるものです。素直に受け取ることが、神の恵みを受ける第一歩です。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ人への手紙 3:23-24
このみ言葉は、人間の普遍的な状態を示しています。誰もが罪を犯し、完全ではなく、神の栄光に届かない存在であるという事実です(3:23)。しかし、この後に続くみ言葉(3:24)では「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる」と語られています。つまり、私たちの不完全さを覆うのは神の恵みであり、救いは無償で与えられるのです。自分の弱さや罪を認めることは恥ではなく、神の愛を受け取る入り口となります。
「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル人への手紙 11:1
神の愛は目に見えない霊的なものです。信仰によってその愛を確信することができます。素直に心を開くとき、見えない神の愛が確かな希望となり、人生を支える力となります。
神の愛は無償でありながら、最も価値ある贈り物です。人は「高額なものに価値を見出す」ために無償で、無料でもある神の愛を軽んじてしまいますが、聖書は「信じる者は永遠の命を持つ」と約束しています。神の愛を素直に受け取る心が、人生最大の祝福につながります。これこそ、本当の救世主の真の救いと言うべきものなのではないでしょうか。
音楽「神の愛を受け取る時」
この曲は、苦しい時に心を開いて素直に神の愛を受け取る喜びをテーマにしています。見えない光を信じる信仰、無償の贈り物としての救い、そしてすべての人に与えられる恵みをやさしいメロディーにのせて歌い上げています。ぜひ聴いてみてください!
音楽 ”神の愛を受け取る時”


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