「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)
イエスがこのみ言葉を語られたのは、弟子たちが「あなたは神のキリストです」と告白した直後でした。人々が期待した“力ある王”ではなく、イエスは“愛による救い”の道を歩むことを示されます。「自分を捨てる」とは、決して自己否定ではなく、神から離れた古い自分を手放し、神に向かって“本来の自分”を取り戻すための招きに応じる行為です。
他人の評価に縛られ、恐れに支配され、孤独を抱えたままの自分の重荷をそっと降ろし、神が愛してくださる「本当の自分」へと戻る勇気を持つこと。それがイエスが語る「自分を捨てる」という意味です。これは“自分を消す”ことではなく、神との関係の中で主体性を回復することでもあります。
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」(ルカ9:24)
ここでの「いのち」とは、単なる生命ではなく、自分中心の生き方を指しています。「自分の成功だけを守りたい」「人からの評価を失いたくない」「プライドを傷つけたくない」そんな思いにしがみつくほど、心は苦しくなり、人生は狭くなっていきます。しかし、イエスのために、つまり愛のために自分を差し出す生き方を選ぶとき、人は不思議なほど自由になり、心が軽くなり、いのちが輝き始めます。失うように見えて、実は最も大切なものを受け取ることになります。ここでの「十字架を負う」とは、苦しみを求めることではなく、神の愛に基づく選択をし続ける覚悟を意味しています。
日本人は「我慢」「自己犠牲」「迷惑をかけない」という価値観の中で生きています。だからこそ、イエスのみ言葉は私たちに深く響きます。「他人からの期待を捨ててもいい」「完璧でなくていい」「孤独を抱えたまま頑張らなくていい」イエスは、あなたを縛っている重荷をそっと降ろし、“本来のあなた”として生きる道を歩くよう勧めています。
迷った時、心が疲れた時、道が見えなくなった時。イエスのみ言葉はあなたの心に静かに寄り添い、「わたしと一緒に歩こう」と優しく語りかけてくれます。その招きは重荷を負いなさいという招きではなく、神と共に歩む愛のめぐみの扉への招きです。あなたのいのちが再び輝き始めるための、深い愛の呼びかけなのです。
音楽「自分を捨てる時」
この曲は、心が暗闇に包まれ、期待や不安の鎖に縛られて動けなくなった時に、主がそっと語りかけてくださる“招き”をテーマにした楽曲です。自分を守ろうと必死になるほど苦しくなる心の現実と、そこに差し込む主のやわらかなみ声が対比され、聴く人の胸に静かに寄り添います。「失うときに真実が見える」というみ言葉が、涙を温め、心に光を宿すことを描き、“自分を捨てて主と共に歩む時、悲しみが消え、愛の恵みがあなたを包む”という福音の核心が力強く歌われます。逃げず隠れず、心を主に預ける勇気が救いへとつながることが示され、全体を通して“主とともに歩む愛の恵み”が深く響く構成になっています。ぜひ聴いてみてください!
音楽 ”自分を捨てる時”


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