人生には緑の牧場のような安らぎの時もあれば、荒れ地のように乾き、孤独で、希望が見えない時もあります。そんな「人生の荒れ地」に立たされる時、聖書のみ言葉は魂に深い安らぎを与えてくれます。
「彼らは尋ねもしなかった。『主はどこにおられるのか。わたしたちをエジプトの地から上らせた方、わたしたちに、荒野の荒れ地た穴だらけの地、砂漠の死の陰の地、人も通らず、誰も住まない地を行かせた方は』と。」エレミヤ書 2章6節
人生の荒れ地は試練の象徴ですが、神はその中で導いてくださいます。人間的には安らぎから最も遠い場所に見える荒れ地こそ、神の臨在を体験する場なのです。魂の安らぎは快適さではなく、神の導きに委ねることから生まれます。
「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」イザヤ書 43章19節
人生の荒れ地は閉ざされた場所ではありません。神は荒れ地に道を造り、砂漠に川を流されます。魂の安らぎは、荒れ地のただ中で神が新しい道を開かれることを信じる時に訪れます。
「荒れ野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。」イザヤ書 35章1節
荒れ地は苦しみの象徴でありながら、神の約束によって喜びの場へと変えられます。魂の安らぎは、荒れ地が花咲く場所へと変えられる神の力を信じる時に与えられるのです。
「神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。」ヘブル人への手紙 4章10節
人生の荒れ地では人間の力が尽き果てます。その時こそ「自分のわざを休む」ことが求められます。魂の安らぎは努力や成果ではなく、神の安息に入ることによって与えられるのです。
人生の荒れ地は人間的には「安らぎ」とは正反対の場所です。しかし聖書は、荒れ地こそ神の臨在が最も鮮やかに現れる場であると語ります。魂の安らぎは快適な環境ではなく、荒れ地の試練の中で神に委ねることによって与えられます。
音楽「人生の荒れ地で」
この曲は人生の荒れ地を歩む中で、神の声と約束に支えられ、乾いた心が恵みに潤されていく姿を歌っています。困難の中でも信じる心に光がともり、魂に安らぎが与えられるという希望のメッセージです。ぜひ聴いてみてください!
音楽 ”人生の荒れ地で”


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