イエスが全人類の罪を背負った証|聖書のみ言葉

み言葉

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコの福音書10章45節)

イエスは自分の死が偶然ではなく、最初から「多くの人の贖いの代価」だとはっきり語っています。「代価」とは、誰かの自由を買い戻すために支払われる価値(金)のこと。つまりイエスは、自分の命を他者の罪の代価として差し出すと宣言しているのです。

「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために、多くの人のために流されるものです。」(マタイの福音書26章28節)

十字架の前夜、イエスは弟子たちに向かって、自分の血が「罪を赦すため」に流されると語りました。これは自分の死が他者の罪のためであるという明確な自己認識の表れであり、十字架の意味をイエス自身が定義している場面です。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。』」(ルカの福音書23章34節)

イエスは十字架上で、自分を殺そうとしている人々のために赦しを祈りました。これは単なる道徳的な寛容ではなく、全人類の罪を背負う者としての祈りであり、イエスの愛と使命が極限まで現れた瞬間です。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちの背きのために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒やされた。」(イザヤ書53章4,5節)

この旧約の預言は、イエスの十字架の出来事を何百年も前に予告していたと理解されています。「彼」は人々の罪を代わりに背負い、傷つき、命を落とす存在として描かれており、イエスの死が神の救いの計画の一部であることを示しています。

「キリストも一度、罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」(ペテロの手紙 第一 3章18節)

イエスの弟子ペテロは、イエスの死を「罪のための死」と明言しています。正しい方であるイエスが、正しくない私たちの代わりに死んだというこの宣言は、弟子たちが命をかけて伝え続けた信仰の核心です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

「世」とは全人類を意味し、神はすべての人を愛しておられるからこそ、イエスをこの世に送りました。イエスの死は、特定の誰かのためではなく、すべての人の救いのためであり、信じる者が永遠のいのちを得るための道なのです。

「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」(ヨハネの福音書6章38節)

イエスは、自分の使命が神の意志に基づいていることを明言しています。つまり、全人類の罪を背負うという決断は、神ご自身の要請であり、救いの計画の中心だったのです。イエスはその神の意志に従い、愛をもって応えたのです。

音楽「あなたがたのために」
この曲は、イエスが全人類の罪を背負って十字架にかかったという聖書のメッセージを、やさしく詩的に描いた賛美歌です。あなたの痛みや涙を知り、すべてを愛してくださる方の深い愛と犠牲を、静かなメロディにのせて歌い上げています。心の奥にそっと届く一曲になることを願っています。ぜひ聴いてみてください!

音楽 ”あなたがたのために”

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