神のなさることは、すべて時にかなって美しい 

み言葉

神さまのなさることは、すべて時にかなって美しいです。聖書の中で、神の時の支配や歴史(摂理)の美しさ・麗しさについて用いられている珍しい箇所があります。クラシック音楽の有名な交響曲を聞くと、その構成のすばらしさに圧倒されます。モーツァルトやベートーヴェン、特にチャイコフスキーのような作曲家の音楽の流れはまさに見事と言えるでしょう。豊かな旋律の流れが形を変えながら流れていく、まさに時間芸術です。そこには始まりがあり、終わりがありますが、その流れはわずか1時間もありません。しかし神の時の支配は永遠です。そしてその時の流れの初めから終わりまで、私たち人間には見極めることができないのです。しかし伝道者は言います。「神のなさるすべてのことは、時にかなって美しい。」と。私たちはそれを信じるしかありません。神がご支配される時の中で、「天の下」で私たちができると言えば、「生きている間に喜び楽しむほか何も」ありません(伝道者の書3:11)。また、「すべての労苦の中にしあわせを見いだす」(伝道者の書3:13)しかありません。しかし、本来、人には永遠への思いが与えられているのです。にもかかわらず、その「初めから終わりまで見きわめることができない」ばかりか、「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末」(伝道者の書3:19)であり、「人は何も獣にまさっていない。」(伝道者の書3:19)「みな同じ所に行く」(伝道者の書3:20)。とすれば、人が永遠の思いを与えられたとしても、それは「むなしい」ことだと伝道者は言っているのです。しかし、使徒パウロは、神を愛する者たちには、すべてのことが益となるように共に働くという確信を持つことを教えていますローマの信徒への手紙8:28)。この確信があるならば、どんな苦しみにあったとしても、そこに意味があることを確信することができ、希望を持つことができます。

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